WITH YOUR CHALLENGE - 応援したい。挑戦するすべての人を

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地域の発展って一人ひとりの挑戦だ

古いものを新しくしたりなかったものを生み出したり
地域が発展するには一人ひとりの挑戦が必要です
私たちの千葉だってほらいろんな挑戦者に出会えます

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About Airi Suzuki

Airi Suzuki


千葉県育ち / ちばぎんイメージキャラクター & イメージソング「start again」アーティスト

ハロー! プロジェクト内のユニット、「あぁ!」のメンバーとしてCDデビュー。
2005年、アイドルグループ「℃-ute(キュート)」として活動開始し、2015年からは女性ファッション雑誌『Ray』の専属モデルとしても活動。
2017年、「℃-ute」を解散し、2018年にソロヴォーカリストとしてデビュー。
歌手・女優・モデルとして幅広く活躍している。

趣味
絵を描くこと(水彩画・油絵・イラスト)
好きな食べ物
抹茶、牛乳、豆乳、もつ鍋、お母さんの手料理(特にしょうが焼き)
好きなスポーツ
観戦のみですが、ソフトボール・ゴルフ・フィギュアスケート
抱負
私の歌で誰かに勇気や元気や感動をあたえられるような歌手になること
これだけは誰にも負けないこと
歌を好きな気持ち
鈴木 愛理

Challenger's interview

ゴールに向かう、限界に挑む、世界をめざす。すばらしいチャレンジが、私たちの周りにありました。

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  • #001 Tatsumasa Murasame
  • #002 Ayako Makinoshima
  • s #003 Nobuaki Takanosho
  • #004 Hisaka Harada
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挑戦は、まだ知らないものに出会う冒険だ。- 庭師:村雨 辰剛 | Tatsumasa Murasame

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#001 村雨 辰剛 Tatsumasa Murasame / Gardener

1988年、スウェーデン生まれの庭師。教科書で学んだ日本の歴史に興味を持ち、高校時代にホームステイを経験し、高校卒業後、日本に移住。23歳で造園の世界に飛びこみ、庭師に挑戦。26歳で日本国籍を取得し、村雨辰剛に改名。タレントとしても活動し、庭師として技を磨きながら、日本庭園の魅力を発信する。

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遠くはなれた日本という国の、「伝統」に憧れた。

小さい頃から、スウェーデンを飛び出て、できるだけ違う文化の中で暮らしていきたい気持ちがあったのですが、歴史の授業で勉強した日本には、特に興味が湧きました。高校生のときに日本でホームステイをしてさらに好きになって、高校卒業後、すぐに日本に移り住みました。日本の伝統文化やその古くからの技術を受け継いでいく徒弟制度に憧れていたので、求人雑誌で造園の仕事を見つけたとき、これだ! と思いました。電話をかけたら面接をして、すぐ働くことになったのですが、いまこの瞬間から「親方」って呼んでいいって思うと、テンションが上がったことを覚えています。徒弟制度は効率が悪いとか言われるけれど、やっぱり意味があると思っています。技は教えてもらうのではなくて、盗まないと身につかないんです。盗むためには親方を観察して、なんでだろう? と自分で考えないと盗めない。庭師になって鍛えられたのは観察力ですね。

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「冒険」だと思えば、知らないものにも飛びこめる。

よく言葉や見た目で苦労しなかったか聞かれますが、職人は腕なのでお客さんにきちんと仕事ができると証明できれば、お客さんも納得してくれるので、そこは気になりませんでした。愛知から千葉に拠点を移して、自分一人で考えて成長していかないといけない今がいちばんのチャレンジかもしれません。経験したことのないものにも遭遇しますが、誰かを見て真似することもできません。なるべく調べたりして、自分の中に必要なものを揃えたら、あとはやってみるしかない。知らないものは怖いし、失敗することもあるけれど、失敗したら学びがあるし、それを取り入れて成長するんだ、という気持ちで日々挑戦しています。それでも壁にぶつかったときは、なるべく客観的な目線で自分を見てみます。なぜこの仕事を始めたのか? と。遠くはなれた国で、その国の伝統文化に携わって、奥深い世界で、まだ分からないことだらけで、それを学べている。自分がやっていることってなかなかできない経験だと思うし、毎日違う現場でいろいろ学べて、まったく知らない世界で冒険ができているって、本当に素晴らしい。越えないといけない壁があるときは、庭師になった最初の気持ちを取り戻してモチベーションを高めるのが一番です。

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日本庭園の魅力を、世界に、日本に、伝えたい。

ある時、お客さんが松を切ろうとしていたのですが、その松の良さを伝えたら、松を切らずに残してくれて、いまも私が手入れしているんですけど、そういうことが増えていけばいいな、と思います。庭師としてはまだまだなのですが、もっと成長して、日本庭園ってすごい! と思わせるものを作るのが目標です。それから、日本庭園の魅力を伝えていきたいですね。日本庭園が好きなので、日本庭園の仕事が少ないのは悲しい。そこを変えていきたくて、庭師として感じたことをSNSで発信したら注目されるようになって。テレビに出たりすることにつながったのですが、これからもメディアを通して日本庭園の良さを伝えたり、日本庭園が減っている現状を変えていける力になれたらうれしいです。とはいえ、庭師の延長ではじめたものなので、タレント活動しているという意識もなく、タレントとしては売れても売れなくてもいいというか(笑)。根幹にあるのは、“日本庭園の素晴らしさをみんなに伝えたい”という思いです。世界はもちろん、日本の人にも。海外で生まれ育ったからこその伝え方もあるんじゃないかと思うので、海外と日本の架け橋にもなれたらいいな、と思います。外国出身の私から見て、日本のいいな、と思う部分が残ってくれればいいですね。

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日本に飛びこんで、庭師に挑戦して、帰化した村雨さん。
冒険のようなワクワクするチャレンジ、これからも応援します!

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古民家は、地域を元気にできる財産だと気づいた。- 建築家:牧野嶋 彩子 | Ayako Makinoshima

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#002 牧野嶋 彩子 Ayako Makinoshima / Architect

千葉県八千代市出身。一級建築士・一級古民家鑑定士。建築事務所に入所し、都市計画などのプロジェクトに参加した後、個人事務所設立。古民家事業に特化した「株式会社 人と古民家」を立ち上げ、2018年、千葉県夷隅郡大多喜町に泊まれる古民家「まるがやつ」をオープン。幅広い視点での家づくり、まちづくりの知見をいかし、古民家を中心とした人と人の交流を生む地域おこしに奔走する。

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古民家を残したい想いと、都市デザインの経験が重なった。

もともと古材や古民家のテイストが好きで新築の設計に取り入れたりしていましたが、建築家としてのスキルを活かすことで、貴重な建築物である古民家を残していきたいと思ったのが「まるがやつ」を作ったきっかけです。はじめは、なんとなく古民家を自分たちで購入・リノベーションして、ショールーム化できないかな、と漠然と思っていただけでした。それが地方創生の事業として周囲から期待をかけてもらって、思った以上の支援を受けられたんです。じゃあ思い切って大胆なリノベーションをして、古民家を活かした他にはない宿泊施設にしよう!と。都市計画に携わっていた経験もあったので、綺麗な古民家に泊まるってだけじゃなく、農業体験ができたり、かまどでご飯を炊くプログラムがあったり、人との交流を生んで旅の思い出になる施設にしようとイメージが広がって。そのとき、古民家はただの建築の財産なのではなくて、過疎化など地域の課題を解決して元気にしていくシンボルとして活躍できるんじゃないか、と思いましたね。

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たくさんの応援に支えられて、この挑戦ができている。

古民家の再生・保存をしていく中で、越えなければいけない壁はたくさんありました。まず、古民家再生の教科書がないこと。現在の工法とまったく異なる「古民家」を改築できる大工さんや職人さんを探すこと、クリアしないといけない法律の数々も。周りからも結構反対されました。宿の女将にでもなったの?と、からかわれることもありました。けれど、応援してくれる人がたくさんいたんです。経営者の仲間たちが背中を押してくれ、地元の方も「賑わいができると嬉しい」と言ってくださった他、恩師にも応援していただきました。蔵の設計を恩師である中村好文先生にお願いしたかったけれど予算の関係で一度断念したんです。でも、「とても意義のあることだから」と、やってくださることになって。そういう後押しが本当に力になりました。自分自身がやってみようと一度決めたことは、やはり最後までやり遂げた方がいいと思いましたし、応援してくれる方がいる限りは、挑戦をつづけようという気持ちです。

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使われなくなった古民家を、地方創生の主役に。

将来的には、「まるがやつタウン」を作りたいんです。泊まれる古民家の宿があって、納屋が食事処になって、裏庭にはツリーハウスがあって、周りにはキャンプ場もあって。ここが一つの古民家の新しい再生のあり方を提示する場所にできればと思っています。この施設があることによって、いままで大多喜を知らなかった人もこの土地に訪れるきっかけができて、農業体験やかまど体験、地元のおばあちゃんたちとの交流をする“みんなのふるさと”になってほしい。大多喜を好きになってまたここに戻ってくるサイクルができると、来る人が喜ぶ地域活性化になって、また、それが地元の人の喜ぶ地域活性化にもつながっていくと思うんです。地域に新たな雇用を生み出す場所になったり、都会の人との交流で地元の人が気づいていない地元の良さに気づくことになったり。ここが地方創生の1つのモデルになって、「まるがやつ」のようなブランドを5つ手がけられたらな、というのがいまの目標です。そして、千葉県だけでなくて、日本全国に広がっていくと素敵ですよね。

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牧野嶋さんだからできる、古民家でしかできない、地域活性化の挑戦。
これからも注目ですね!

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スランプが教えてくれた。自然体でとる相撲が、いちばん強い。- 力士:隆の勝 伸明 | Nobuaki Takanosho

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#003 隆の勝 伸明 Nobuaki Takanosho / Sumo Wrestler

千葉県柏市出身。千賀ノ浦部屋所属の大相撲力士。身長183cm、体重161kg。15歳で相撲部屋に入門。平成二十九年十一月場所で十両昇進、平成三十年九月場所で新入幕昇進。押し相撲を得意とする。好きな言葉は「笑う門には福来たる」。

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負けっぱなしで終わりたくない。それが相撲をはじめたきっかけ。

力士を目指すキッカケになったのは、小学生の頃のわんぱく相撲でした。当時、自分は体が大きくなかったんですけど、自分より少し小さい女の子と勝負して、負けてしまったんです。それが悔しくて。それから、クラブチームに入って相撲をはじめました。勝ち負けがはっきりしていて、見ていて分かりやすい相撲は、自分に合っていたと思います。中学の時に千葉県大会で優勝して力をつけていき、中学卒業を間近に控えていた時期に、千賀ノ浦部屋からスカウトされました。進学して、高校卒業後に相撲の世界に入る気持ちでいましたが、高校に3年通って練習するよりも、早く入って同級生より早く強くなりたいと思って、15歳で入門。十両以上の「関取」になるんだ、という覚悟があったものの、親元を離れてすぐにつらくなって、挫折しかけました。「無理、帰りたい、やめていい?」と親にメールをしたら、「石の上にも3年。3年耐えたら何かが変わってくるから。」と返ってきて、もう少し頑張ってみようと思い直しました。3年経つと慣れてくるし、弟弟子ができると先輩としての自覚も出てくるし、確かに変わりましたね。

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負けて、負けて、手に入れた自分の強さ。

初土俵から2年ほどで幕下に昇進しました。順調にいっていましたが、そこから5年半、しばらく番付が上がらず苦しい時期が続きました。負けたとき“次も負けたらどうしよう”とか悪い方向にばかり考えてしまって、そうすると次も負けてしまうという繰り返しでした。スランプを抜け出すために、稽古は欠かさず続けていましたし、時には他の部屋の先輩関取衆にアドバイスを聞いて回ったこともあります。そのときもらった「やり続けていれば絶対強くなるから」という言葉や、師匠からの「稽古場の相撲がとれたら負けないから」という言葉で気づいたんです。それは、相手に勝ちたいという気持ちが先走り、考えすぎていたということ。力が入って、「よしやるぞ!」という気持ちだと、案外負けるもの。稽古場にいるくらいのつもりで力を抜いて、自分の相撲をとることだけを考えるのが一番メンタル面も整えられる。どんな相撲をすれば勝てるのか迷っていたけれど、自然体でいくと決めたら勝ちがついてくるようになり、十両に昇進。念願だった関取になることができました。

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自然体で、上へ突き進む。

入門したときの目標だった関取になれたし、一度は幕内まで番付を上げることができましたが、満足する気持ちはありません。自分より年下で幕内で活躍していたり、三役になったりしている姿を見ると、自分もそこまで上がっていかなきゃという気持ちになります。応援してくれる人の存在も大きいです。毎日自分の相撲を「楽しみに見ているよ」と言ってくれる人もいますし、場所中の15日間、欠かさず自分の相撲を動画で撮って送ってくれる人もいます。その人たちのためにもここじゃ終われないなと。ここで満足していたらダメだなと思うし、それ以上強くなれない、と思います。負けることはもちろんあるけれど、負けを引きずらないように美味しいごはんを食べたり、終わった相撲のことを考えないようにしたり、ポジティブになれたのはスランプのおかげかもしれません。いまでは座右の銘も「笑う門には福来たる」。もう自分の相撲に迷わないし、上を目指すだけ。相撲に興味がない人にも、この力士なら知っている、と言われるような力士になりたいですね。

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自然体だけど力強い、隆の勝関の挑戦。
土俵で勝つ姿を、たくさん見たいですね!

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職人としてはまだまだ。でも、客室乗務員をやめたことに後悔はないって胸を張れる。- 飾り伊勢海老職人:原田 尚佳 | Hisaka Harada

職人としてはまだまだ。でも、客室乗務員をやめたことに後悔はないって胸を張れる。

飾り伊勢海老職人:原田 尚佳 | Hisaka Harada

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#004 原田 尚佳 Hisaka Harada / Traditional craftsman

1984年、鴨川市生まれ。東京の大学を卒業後、航空会社に就職。キャビンアテンダントとして約10年勤務し、2014年から家業「いずみや鮮魚店」で働く。ほぼ同時期に、江戸時代から続く飾り伊勢海老の伝統技術を師匠である父裕光さんから教わり、全国で唯一の飾り伊勢海老職人となる。

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キャビンアテンダントをやめて、故郷鴨川で飾り伊勢海老職人に。

大学を卒業して就職したのは航空会社でした。キャビンアテンダント(客室乗務員)として勤務していました。ずっと憧れていた職業でしたし、とても充実した日々でしたが、いずれ家業である鮮魚店を手伝いたいと思っていました。鴨川に戻ってきたのは5年前です。そこから魚屋の毎日、そして飾り伊勢海老づくりの毎日がはじまりました。「飾り伊勢海老」というのは、玄関や神棚などのお正月飾りに使われている、あの真っ赤な伊勢海老のことです。縁起物のシンボルとも言われていますね。国会議事堂や歌舞伎座、新橋演舞場などで使われます。プラスチック製のものをよく見かけると思うのですが、本来の飾り伊勢海老というのは本物の伊勢海老でつくられたものです。江戸時代から続いている伝統工芸で、実は日本で唯一製造しているのがここ「いずみや鮮魚店」なんです。

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師匠である父から、伝統技術を受け継いで。

実は、私の師匠は父なんです。その父にとっての、かつての師匠が東京の職人さんでした。この方と父はもともと知り合いだったのですが、ある時、後継者がなかなか見つからないと父にこぼされたことがあって。それがきっかけで、父が飾り伊勢海老職人を継ぐことになったんです。ところが、実際に職人として飾り伊勢海老づくりと向き合ってみると、伊勢海老という生き物は思っていた以上に繊細で、これは女性の方が向いているのでは? と身にしみて感じるようになったみたいで。それで、ちょうど時を同じくして実家に戻ってくることになった娘の私に、声がかかったというわけなんです。でも、戸惑いはありませんでしたね。言われた時から「よし、やってやろう!」という気持ちになって。それからというもの、どんどん飾り伊勢海老づくりにのめり込んでいきました。

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全国で唯一の飾り伊勢海老職人として。

飾り伊勢海老は、8月頃に獲れた伊勢海老を冷凍して10月くらいから製造に入ります。生の伊勢海老を茹でて、串に刺して、海老反りの状態で固定して、それを赤く染色して。12月の初旬までに5,000本くらいを製造します。職人になってから5年経ちますが、腕はまだまだですね。でも、この道を選んだことに後悔はまったくありません。それは、胸を張って言えます。今、全国で飾り伊勢海老職人は私しかいません。つまり、私が飾り伊勢海老づくりをやめてしまうと、この江戸時代から続いてきた伝統工芸が途絶えてしまいます。このプレッシャーをとても強く感じています。でもそれ以上に、清々しく華やかで私らしい飾り伊勢海老をつくりたい。私がつくった飾り伊勢海老によって、“来年はきっと良い年が来る!”と多くのお客さんに思っていただける実力を身につけたいと思っています。そして、私の大好きな故郷鴨川が、伊勢海老の名産地としてもっと盛り上がってくれたらこれ以上ない幸せですね。

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職人の道を選んだ原田さんの覚悟と勇気。
これからの活躍を期待したいですね!