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歴史の継承者として 取締役会長 佐久間 英利

渋沢栄一の教えと千葉県との関わり

ちばぎん金融資料室には「業精于勤」と書かれた書額が展示されています。これは、日本近代資本主義の父と呼ばれ、日本初の銀行「第一国立銀行」の創立者でもある渋沢栄一が、当行の前身銀行の一つ、小見川農商銀行創業30周年の祝典の際に揮毫したものです。出典は唐代中国の詩人、韓愈の「進学解」で、「業(なりわい)は勤(つと)むるに精(くわ)し」と読み、「仕事や学問は地道に努力していけば必ず成功する」という意味です。それ以来、「業精于勤」は同行の行是とされました。

渋沢栄一の書
渋沢栄一の書
渋沢栄一(前列中央)と小見川農商銀行役員
渋沢栄一(前列中央)と小見川農商銀行役員

その後、当時の国策であった「一県一行主義」により、千葉県に本店を置く千葉合同銀行、小見川農商銀行、第九十八銀行の3行が合併して千葉銀行が創立した後も、「業精于勤」の考え方は代々継承されていきました。私自身、頭取在任中は全店長会議や入行式などの場で幾度となくこの渋沢の教えに触れ、努力をし続けることの大切さを説いてきました。創立70周年の折に地元の書道の大家に揮毫していただいた同名の書額は現在、役員フロアの経営会議室に掲げられており、経営陣にとっては日々の励みともなっています。

さて、創立以来、当行は千葉県とともに歩んでまいりました。当行が全国トップクラスの地方銀行へと成長できた原動力は、千葉県経済の発展と県人口の急増、県民所得水準の向上という恵まれた営業環境にあったことは言うまでもありません。

なかでも、臨海部に工業地帯が形成され、これまで農水産業中心であった千葉県が全国有数の工業県へと変貌を遂げた1950~1960年代は、当行にとっても預金量や貸出金量が飛躍的に伸び、確固たる営業基盤と競争力を手にした時期となりました。

今日、千葉県は農林水産業、商業、工業の各産業がバランスよく発達し、観光立県としてのポテンシャルも非常に高い、全国でも数少ない成長マーケットとなっています。

私は頭取在任中、千葉県経済同友会の代表幹事、千葉商工会議所会頭、千葉県商工会議所連合会会長の職にも就きました。そこで多くの経営者の方々と交流することで、いま置かれている状況や抱えている課題など生の声を聞くことができ、同時に千葉銀行への期待の大きさを実感しました。103歳で亡くなられた取引先の会長が、生前に当行の支店長を指して、「白馬の騎士のような存在になれ」とおっしゃっていたことも心に残っています。

千葉県経済同友会の会員との交流
千葉県経済同友会の会員との交流

企業や個人、自治体などで構成される経済社会を人の体に例えると、銀行は「お金」という血液を体の隅々まで循環させる心臓の役割を果たしています。お金の流れが止まれば経済活動がストップしてしまいます。お客さまの「お金」を安心・安全にお預かりし、地域金融機関として資金を必要としている地域の方々に適切に貸し出す、このことを常に念頭に置いて銀行経営を続けてきました。さらに、お客さまに寄り添うことで金融サービスだけでなく、本業のご支援や相談対応力の向上にも力を入れてきました。

また、県内の自治体とは公金を扱う指定金融機関の立場にとどまらず、地域の活性化という共通の目的に向かってともに歩みを進めてきました。地方創生の旗印のもと、それぞれの自治体が創意工夫をして産業育成や観光振興などに取り組んでいます。当行もグループを挙げて高度な金融サービスを提供することにより、地域のお役に立ちたいと考えています。

寄付型私募債を通じた母校への用品寄贈式にて
寄付型私募債を通じた母校への用品寄贈式にて

地域の発展なくして当行の成長はあり得ません。これからも当行はさまざまなかたちで地域社会との共生を目指してまいります。

経営者としての原点と心構え

私の経営者としての原点は、インド・ムンバイで起きた同時多発テロでの壮絶な体験にあります。

ムンバイ同時多発テロとは、2008年にパキスタン系とみられるイスラム過激派のテロリストによって市内の外国人向けホテル、鉄道駅、教会などが襲撃され、多数の死傷者を出した事件です。この悲劇は後年映画にもなりました。

忘れもしない11月26日、当時、国際部門の担当役員であった私は、アジア視察の道中、香港支店長らとともにムンバイのオベロイホテルに宿をとりました。

日中の業務を終え、ホテルに戻ったのが午後9時40分。フロントで翌日の搭乗便の確認に手間取ったため、一旦全員部屋に引き上げることにしました。ロビーにいた時間は10分ほどであったと記憶しています。

そして、9時57分、タタタタタと自動小銃を乱射しながらテロリストたちがホテルになだれ込んできたのです。ベッドにいた私は、はじめ道路工事の音かと思いましたが、すぐに銃撃戦が始まったのだと気づきました。同行の2名と部屋から出ないことを申し合わせましたが、吹き抜けの階下からは銃声と手りゅう弾の爆発音が絶え間なく聞こえ、戦闘が激しくなっている様子がうかがえました。窓からは怪我人が救急車で搬送されるのも見えました。

ホテルで火災が発生し、ドアの隙間から煙が入ってくると、いよいよ危ないと感じ、我々は脱出を決行します。火災報知器が鳴ったことを合図に各自が濡らしたタオルで口を覆い部屋を飛び出しました。しかし、廊下は充満した白煙で1m先も見えません。手探りで非常階段を探し当て、いつテロリストに遭遇するかもしれない恐怖と闘いながらやっとの思いで地上階にたどり着くことができました。

安全が確保された場所で一息つけたのが午後11時。わずか1時間ほどの脱出行でしたが、とても長い時間に感じられました。互いに煤で真っ黒になった顔を見ながら全員無事に脱出できたことを確認すると、私もようやく緊張がほぐれ、深い安堵感に浸ることができました。

その後、現地の方の助けもあり、インドを出国して日本で家族の出迎えを受けたとき、仕事に戻り訪問の約束をしていたお客さまとお会いできたとき、「生」への喜びとともに人との縁やつながりの尊さを実感しました。刻々と変わる状況や自分がとった行動、心情の移ろいを含めて、いまでもこの数日間の記憶は克明に残っています。

この3か月後、私は図らずも頭取の職に就くことになりますが、この体験で芽生えた、何にもまして人が大事だという想いや、職員とその家族を守らなければならないという使命感が、経営者としての私のバックボーンになっています。

そして、私が銀行経営で心掛けてきたことが二つあります。一つは、「多くの人と会い、ふれあいを大事にする」ということです。ムンバイでの一夜を思い返すと、もし、ホテルのロビーを離れるのがもう少し遅かったら…もし、あのまま部屋にとどまっていたら…と生死を分けた瞬間がいくつもありました。「あのとき死んでいたらこうして人と会うこともできなかった」「この出会いは一期一会かもしれない」と常に感謝の気持ちをもって人と接するようにしました。

もう一つは、「やるべきことはすぐにやる」ということです。一寸先は闇と言いますが、「5分後、10分後に何が起こるかわからない」「未曾有の大災害で明日命を落とすかもしれない」と考え、正しいと思ったことや決断したことを躊躇なく実行に移してきました。

私の愛読書である「葉隠」に「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という有名な一節があります。この「葉隠」は、江戸時代中期に肥前国(いまの佐賀県)鍋島藩士が口述した武士としての心得を筆録したものですが、現代社会においても生き方や働き方の指南書として十分通じることがたくさん書かれています。

「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」とは、「常住死身(じょうじゅうしにみ)」の精神、つまり、「いつも一旦死んだ気になって何事にも臨めば自由な気持ちになることができ、仕事もうまくいく」ということを表しています。経営者の立場ならば、「死んだ気になれば誰にも忖度することなく思い切った経営ができる」と言い換えられるでしょう。私自身もこの言葉を糧にしたことで、これまで幾度となく難しい局面を乗り切ることができたと思っています。

頭取在任12年間を振り返って

竹山頭取の後を継ぎ、私が頭取に就任したのは2009年3月です。前年に起きたリーマンショックの影響が残り、いまだ景気の先行きが見通せない時期でした。その後も在任中には、東日本大震災(2011年)や令和元年房総半島台風(2019年)といった大規模災害の発生、新型コロナウイルスの感染拡大(2020年以降)など数々の困難に直面しましたが、一貫した「お客さま第一主義」のもと、積極的な営業姿勢と財務の健全性のバランスを取りながら業績の向上に努めてきました。

取締役会の一場面
取締役会の一場面
全店長会議の様子
全店長会議の様子

預金量、貸出金量は在任12年間で1.6倍となり、収益面では役務取引等利益(サービス提供の対価として得る報酬や手数料などの利益)が1.9倍となりました。これは、県外や海外も含め拠点拡充によって営業基盤の拡大を図ったことや、低金利の環境下で預貸金収益が伸び悩むなかでも、法人向けコンサルティング業務や資産運用業務、相続関連業務などに力を入れ、収益源を広げた成果と言えます。

また、トップラインの向上やコスト削減に向けて長期的な目線で他行との業務提携を進めてきました。地域のトップ地銀による広域連携の枠組みである「TSUBASAアライアンス」、武蔵野銀行との「千葉・武蔵野アライアンス」、横浜銀行との「千葉・横浜パートナーシップ」はいずれも私の在任中に発足しました。他行との提携においては、頭取同士で理念を共有することが大切ですが、継続して施策を実行していくためには役職員の理解と体制づくりにじっくり腰を据えて取り組む必要があります。どの枠組みも強い結びつきによって今日に至るまで発展を続けており、自行単独では取組みが難しい施策を次々と実現するなど、期待以上の効果に喜びを感じています。

「千葉・武蔵野アライアンス」調印式にて(2016年3月)
「千葉・武蔵野アライアンス」調印式にて(2016年3月)

一方で、業績面だけに目を向けるのではなく、自らの信念で組織改革も推し進めました。私が銀行組織において特に大事だと考えていることが四つあります。

一つ目は、人材です。当行ではかつてバブル崩壊後の金融危機においても、一人として解雇や早期退職によるリストラを行いませんでした。従業員の雇用を確保し、本人が望めば定年まで安心して働き続けることができる職場環境の整備に尽力するとともに、部下を持つ管理職に対しては人材育成が重要な職責であることを指導してきました。

二つ目は、コンプライアンスです。銀行にとってお客さまや社会からの信用は何より大切にしなくてはなりません。そのため、新入行員から管理職、パートタイマーを含む全従業員に対し、コンプライアンスをすべての業務の基本に置くことを繰り返し伝えてきました。不祥事はもちろんのこと、些細なルール違反も銀行の信用失墜につながることを研修や勉強会を通じて学んでもらい、職場でのパワーハラスメントやセクシャルハラスメントの根絶に向けた取組みも行いました。

三つ目は、女性の活躍です。銀行の従業員の約半数は女性であるにもかかわらず、以前は女性が活躍できるフィールドが限られていました。そこで私は、女性活躍推進を軸とするダイバーシティの推進を経営戦略に位置付け、役職員の意識改革と体制整備に努めました。

きっかけは2014年に参画した内閣府の「輝く女性の活躍を加速する男性リーダーの会」です。武田薬品工業の社長を筆頭に、各業界をリードする男性経営者9名が集まり、女性が組織で活躍するうえでの課題やその打開策等について真剣に議論を重ねました。本気で組織や社会を変えようとしている姿勢に感銘を受けた私も銀行界の代表として積極的に意見を出しました。そして、「自ら行動し、発信する」「現状を打破する」「ネットワーキングを進める」の3本の柱からなる「行動宣言」にまとめ、首相官邸で公表しました。私はその後も「行動宣言」に基づき、自行のみならず、地銀界や地域に対して推進の輪を広げる草の根の活動を続けました。特に、当行での実例をもとに私が提案した「地銀人材バンク」は、地方銀行職員の再就職をサポートする全国的な仕組みとして、地方銀行のプレゼンス向上につながったと思っています。2019年にいただいた「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」の授賞式で安倍首相から直接表彰状を授与された際は感無量でした。

「輝く女性の活躍を加速する男性リーダーの会」の参画メンバー
「輝く女性の活躍を加速する男性リーダーの会」の参画メンバー
「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」授賞式後に安倍首相と(2019年12月)
「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」授賞式後に安倍首相と(2019年12月)

四つ目は、働き方改革です。先ほど述べた女性の活躍推進とも関係しますが、人はワークライフバランスが充実するとよい仕事ができ、組織の活性化につながります。前例踏襲の業務内容や長時間労働を見直し、デジタルを活用した業務効率化や柔軟な働き方ができるよう諸制度の創設に積極的に取り組みました。いまでは女性が多方面で活躍し、性別や世代を問わず、自由闊達な職員が増えました。

頭取在任中の2012年6月と2017年6月に、それぞれ1年間の任期で全国地方銀行協会(地銀協)の会長に就きました。会員行の声に真摯に耳を傾けながら、地方創生や郵政民営化問題、政策金融のあり方など、地方銀行を取り巻くさまざまな課題に正面から向き合いました。地銀界にとってよかれと思うことは要望書や意見書にして行政に積極的に働きかけるとともに、日銀金融記者クラブでの定例会見では、地銀協の活動を広く世間に理解してもらうよう努めました。

特に印象深いのが会員行の特徴的な地域活性化の取組みをまとめた「地方創生事例集」の発行です。さまざまな好事例が共有され、これらを参考に各行がさらに進んだ活動を行うことで、全国で実効性ある取組みが増えていったと自負しています。

いま振り返ると、協会内の意見調整や諸団体との会合、講演活動など任期中は多忙でしたが、副会長や理事、地銀協役職員の皆さまのサポートによって重責を全うすることができました。

全国銀行協会の賀詞交歓会にて(2018年1月)
全国銀行協会の賀詞交歓会にて(2018年1月)
地銀協会長としての定例会見(2012年6月)
地銀協会長としての定例会見(2012年6月)

最後に、私は経営者として千葉銀行をよりよい組織にするため、これまでさまざまな改革に着手してきました。時間はかかりましたが、私が種をまき、育んできた想いは、新たな企業文化として根付いていると実感しています。今後も長きにわたって千葉銀行の歴史と文化が次世代へと継承されていくことを望みます。

これからの時代はデジタル技術の進歩などによって変化のスピードがますます速まっていきますが、多様な人材が活躍する柔軟な組織であればどのような変化にも対応できると確信しています。

私の頭取職務の集大成として2020年に竣工した新本店ビルは、この先50年の当行の発展を支えるベースとなるものです。先人たちの一歩ずつの積み重ねが80年の歴史となったように、今後、創立90周年、100周年をどのようなかたちで迎えるか、千葉銀行の将来をとても楽しみにしています。

新本店ビル落成記念のテープカット(2020年11月)
新本店ビル落成記念のテープカット(2020年11月)
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