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1980年代半ば、わが国の経済は大きな転換期を迎えた。第1に、1985年9月の「プラザ合意」※1に基づき各国が協調介入に動いたことで、円高が急速に進行した。第2に、1980年代前半に米国との貿易摩擦を生んでいた輸出主導型の経済モデルを、内需主導型に転換していくことが大きな政策目標となった。第3に、世界的な潮流となっていた「小さな政府」※2への転換に向けて、各分野で規制緩和や自由化の流れが加速した。
急速な円高は一時的な景気後退を招いたものの、政府の緊急経済対策や日本銀行の金融緩和政策などによって、わが国は1986年末頃から内需主導の景気回復局面に入った。物価が安定し、株価・地価の上昇や内需拡大に向けた企業の積極姿勢などもあって、景気拡大は4年余り続いた。
この間、企業の手元流動性は高まり、金融緩和政策の継続や金融機関の不動産関連融資の積極化などもあって、マネーサプライ増加率は10%超となった。こうした豊富な資金が不動産や株式へと流入した結果、資産価格が高騰し続け、投機的とみられる取引も横行するなど、しだいにわが国は「バブル景気」※3の様相を強めていった。
わが国の金融自由化・国際化の流れは、1983年に設置された「日米円・ドル委員会」をはじめとする海外からの圧力(いわゆるガイアツ)によって一段と強まった。
まず、1985年に市場金利連動型預金(MMC:Money Market Certificate)および自由金利定期預金(大口定期預金)の解禁を皮切りに金利の自由化が進んだ。銀行では、国債の窓口販売、国債ディーリング、コマーシャルペーパー(CP)の取扱い、株式や債券の先物取引の開始など金融業務の自由化に加え、海外拠点数の増加や国際業務の拡大といった国際化の動きも加速した。
一方、この時期には直接金融をはじめ、資金調達手段が多様化したことで、企業の「銀行離れ」が加速した。銀行は資金運用先として、しだいに事業用不動産やノンバンク・住宅金融専門会社(住専) ※4向け融資に傾注するようになり、バブル景気に拍車をかける展開となった。
こうして、金融機関が抱えるリスクが多様化・複雑化していくにつれ、リスク管理の強化が課題となっていった。また、邦銀のオーバープレゼンス(目立ち過ぎ)に歯止めをかけようとする欧米諸国の意向もあり、1988年の「バーゼル銀行監督委員会」において、自己資本比率規制の国際基準統一化の合意がなされた。わが国でも1988年12月の大蔵省通達によって、国際統一基準行は1992年度末における自己資本比率8%以上の水準確保が義務付けられたことで、量的拡大の経営方針を見直す動きへとつながっていった。
この時期の千葉県は、多数の大規模開発に支えられ、飛躍的な経済成長を遂げた。1983年4月には、浦安市に国内テーマパークの先駆けとなる東京ディズニーランドがオープンした。千葉県は同年6月、今後の県土開発にあたって「千葉新産業三角構想」を発表し、「幕張新都心」「上総新研究開発都市」「成田国際空港都市」をそれぞれ、学術・教育、研究開発、国際的物流の拠点として整備していく方針を打ち出した。
この方針に沿って、幕張メッセのオープン(1989年)、かずさアカデミアパークの着工(1991年)、成田空港第2旅客ターミナルの開業(1992年)などのプロジェクトが進展した。また、国鉄京葉線の一部開通(1986年。1990年に全線開通)、東京湾横断道路の着工(1989年。1997年に開通)、JR成田エクスプレスの新設(1991年)と、交通網も整備されていった。
この他、内陸工業団地への企業誘致も進んだことで、1983~1991年の間に、県内総生産は9兆3,000億円から17兆円超に、県人口は500万人から560万人に、公示地価(全用途平均)は4倍以上となった。
なお、この時期の県内金融機関の動向としては、1988年に東金、京葉、市原、朝日の4信用組合が合併して千葉県商工信用組合が発足、1989年に千葉相互銀行が普通銀行に転換し京葉銀行と改称、1990年に君津信用組合が安房信用組合を吸収合併、同年、長生信用組合と長狭信用組合が合併して房総信用組合が発足した。
※1 プラザ合意
米国ニューヨーク州のプラザホテルで開催された先進5か国の蔵相・中央銀行総裁会議での為替レートの安定化策に関する合意の通称。
※2 小さな政府
政府・行政など公組織による経済活動への介入を極力減らし、市場原理に基づく自由競争を促すことで経済成長を目指す思想や政策のこと。
※3 バブル景気
1986~1991年頃の好景気の通称。過剰な投機熱によって、不動産や株式などの価格が実態の価値以上に膨らみ続ける経済状態をバブル(泡)に見立てた。
※4 住宅金融専門会社(住専)
金融機関らの出資により設立された、主に個人向け住宅ローンを取り扱う貸金業の一業態。1970年代に8社設立されたが、その後、銀行との競合によって不動産業者向け融資に傾注するようになり、バブル崩壊後に多額の不良債権を抱えた。